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橘玲『無理ゲー社会』小学館新書(2021/8/3)

 

 「親ガチャ」という言葉が「親ガチャに外れたから俺の人生は浮かび上がることがなくダメだ」という文脈で語られることが多いことに、私はとても疑問を感じていた。今の日本には、江戸時代やつい最近のインドと比べても身分制度はない。江戸時代以前と比べれば、自由が大幅に増している。職業選択の自由に恵まれている。結婚だって親が決めず自由に恋愛して相手を選ぶことができる。「それなのになぜそんな絶望的な文脈で語るのだろう?甘えているのではないか?努力不足なのではないか?」と思っていた。

 また、「最近の男子は大変だなぁ。」と思っていた。モテるためには、昔は車が必需品だったが、今は育児や料理は男もやるのが当たり前だし、眉毛を整えないといけないし、顔の手入れも必要だ。「なぜそうなってきたのだろう」と思っていた。

 そんな疑問に答えたのが本書である。

 

 本書では、現代は、メリトクラシーによって、分断されている、と言う。メリトクラシー(一般には「能力主義」と訳されるが、本当は知能+努力=長所による支配というのが正しい)により、「門閥の貴族制度」を「才能の貴族制度」に変えてしまった、というのだ。リベラルは、知能の不足を教育で補えば、問題は解決する、と思われたが、実際には、知能も努力も遺伝によって半分くらい決まり、環境の影響は少なかったのだ。そして、「自己責任論」によって逃げ場がなくなってしまうのだ。

 こういう現実に対する解決策の一つとして、ユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)が挙げられる。だが本書では、「この制度の致命的な欠陥についてほとんど議論の俎上にのぼることがない、それが「誰に支給するのか」だ。」と指摘する。その極端な例として、日本人男性が貧しい国の女性と結婚し10人の子どもを持つことで、働かずに年1200万円の収入を得られる、という試算をしている。確かにその可能性はあると思う。その他の解決案も本書にはあるが、いずれもSFの世界に思えるが、おそらくその方向に否応なしに進むのだろう。

 

 そして、本書の後半で、私の疑問は氷解する。

 p.267「生存(食料と安全)が確保されると、オスとメスの性愛の非対称性が純化され、オスの「競争」とメスの「選択」がもっとも合理的・効率的に行われるようになるのだ。」「「とてつもなくゆたかな社会」では、女は子育てのために男の手を借りる必要がなくなるだろう。」「モテ/非モテ格差がかぎりなく拡大していくのだ。」

p.268「ごく一部のアルファの男が多くの女を独占するようになるだろう」「ヒトの性愛では、女も稀少なアルファの男をめぐってはげしい「美の競争」に放り込まれる。」

p.269「誰もがより「自分らしく」生きられるようになれば、わたしたちはますます「外見の魅力」にとらわれるようになっていく。」

p.270「男女の性愛の非対称性によって、男の競争は女の競争よりもさらにはげしいものになるはずだ。こうして多くの男が「性愛」から排除され、あるいは自ら離脱していくのだろう。」「人生を「無理ゲー」と考えるひとが世界的に増えているからではないだろうか。」

 

 なるほど、世界が便利になり自由になり豊かになった結果が、「無理ゲー社会」による絶望だったわけだ。本書を読んでよくわかった。解決策については私にはよくわからないが、現在の「無理ゲー社会」に至った原因はよくわかった。