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さいとう・たかを『ゴルゴ13 95 日・米コメ戦争』(リイド社)(1995/08/06)

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第293話 日・米コメ戦争 虎の尾を踏んだ男たち(1991/01作品)

脚本協力:きむらはじめ
ページ数:148ページ
依頼者:RMA(全米精米農業者協会)理事長
ターゲット:パプア・ニューギニアの開発大臣オットー・ベルガー
依頼金額:不明
殺害場所:パプア・ニューギニア、マダン州・ラム渓谷
殺害人数:1人
殺害相手:パプア・ニューギニアの開発大臣オットー・ベルガー
H:0人

Part1 衆議院議員相川政義
 日本 秋田県川辺郡筑紫町で、衆議院議員相川政義のパーティーが開かれていた。
 東亜ベアリング秋田工場長、城崎文也と相川政義が鏡割りをする。
 筑紫町町長の橋田宣之が乾杯の音頭を取った。
 中東危機のため、イラクはアメリカのコメの最大輸入国で、アメリカの全輸出量の40%、50万トンを輸入していた。それが経済封鎖でゼロになった。
 アメリカはコメの輸出自由化の矛先を日本に向けるだろう。
 相川政義は"対アメリカコメ戦争"を宣言した。
 アメリカでは500万トンのコメを全農家の0.5%、1万戸が生産しており、全能産品売上げの1%だ。アメリカのコメ農家は日本のコメの自由化を求めているわけではない。
 自由化を求めているのは全米24の精米兼コメ輸出業者が作ったRMA(全米精米農業者協会)だった。
 
Part2 RMAの代理人
 東京・永田町、衆議院第一議員会館で、党内での実力No.1幹事長である鬼島太造のもとに、日本PRの竹村が訪ねていた。竹村は岡珠のもとでアメリカの穀物商社のPRをしていたが今回独立してRMA(全米精米農業者協会)のPRをやることになった。
 鬼島もコメの自由化が持論だと言った。
 
Part3 幹事長 鬼島太造
 鬼島のもとに相川が訪ねてきた。日本のコメの補助金漬けはよくない、という鬼島に対し、相川は日本の逆ザヤは22%だが、アメリカは71%補助金漬けだ、と言った。
 相川はコメを自由化すると、大豆や小麦と同じ運命になる、と言う。党としてコメ自由化反対を方針として掲げてほしい、と相川は鬼島を説得する。
 農民の利益を代弁していれば政治家が勤まったのは相川政義の父親政之の代までだ、占拠はカネだ、と言う鬼島に返す言葉がない相川だった。★
 二人は富士通商の瀬上社長と会った。
 瀬上は、富士通商でパプア・ニューギニアで大きなプロジェクトを起こそうとしており木島の顔を借りたがっていた。
 
Part4 富士通商 阿部秀行
 半年前、パプア・ニューギニア、マダン州・ラム渓谷でジャングル開拓中にブルドーザーが事故を起こした。
 マダン州・マダン市で、その事故の連絡を受けた阿部秀行がいた。
 
Part5 日本人 藤岡俊樹
 阿部が部下と共に事故現場に行くと、ブルドーザーのキャタピラに巻きこむための鉄条網を発見した。
 やったのは革命軍ではなくムシア村の者達だった。そこに日本人が一人いた。元JICAの職員だった藤岡俊樹だった。
 ODAのカネが現地政府高官のポケットに入り、開発事業を受注した日本企業が回収し、民自党の政治献金に化ける、と批判する藤岡俊樹だった。
 阿部秀行は、今度のプロジェクトは、ラム川流域4万平方キロを灌漑して農工両用の一大基地にするプロジェクトだ、と話す。
 
Part6 ベルガー開発相
 ベルガー開発相と、阿部秀行と藤岡俊樹らが会った。ムシア村の村民は、ベルガー開発相が精霊ニオコマドの呪いを受けて死ぬ、と言った。
 
Part7 浜林老人の教え
 阿部秀行は藤岡俊樹の協力を得ようとする。藤岡俊樹はODAの結果、悲惨な目にあった現地の人々の経験を語る。
 農業指導で各国を回り、定年後アジア各国で井戸を掘る運動を続けている浜林さんが歩いていた。
 
Part8 現地人オブルと娘
 浜林は藤岡俊樹に、現地にあるモノを使い、現地の人が直せるモノを作る、適正技術による援助が最善だ、と話す。
 オブルが娘のベスを身売りした。
 浜林は日本もほんの30年前までよくあるコトだった、とつぶやく。
 藤岡俊樹は阿部秀行のホテルに足を向けた。
 
Part9 相川代議士の焦り
 東亜ベアリング秋田工場の生産は5年前の4割減だった。
 相川代議士は、東亜ベアリングが撤収すると、選挙に影響が出ると焦る。
 ライバルの河井博は、コマ目に農家の冠婚葬祭を回っており、工場にも出入りしていたので相川は焦っていた。
 
Part10 日本からの友好議員団
 パプア・ニューギニアのマダン州・ラム渓谷に、相川政義らが来て、阿部秀行の説明を受けていた。
 藤岡俊樹は相川政義の姿を見て何か気になった。
 マダン市・マダン州政府ゲストハウスでパーティーが開かれていた。ニオコマドの精霊の踊りが披露されていた。
 藤岡俊樹と相川政義と同じ秋田県川辺郡筑紫町出身で中学まで一緒だった。
 藤岡俊樹の家と田が東亜ベアリングの工場敷地にかかっていたため、藤岡は離農した。
 藤岡俊樹はJICA(国際協力事業団)に入ったが、ODAの結果持ち込んだ技術は原油の値上がりで燃料切れになり動かなくなったり、故障しても直せなかったりしていた。
 今度のパプア・ニューギニアの事業を藤岡俊樹はちゃんと見届けるつもりだった。
 その時銃声が二発聞こえた。
 
Part11 タブーを犯した者
 藤岡俊樹に相川政義は現地の治安のことをきいた。藤岡俊樹は特に不安定ではない、と言った。
 藤岡俊樹に妻子のことを相川政義がきいた。藤岡俊樹の妻子はザンビア北部のカセンパで5歳の娘知恵がルンガ河支流に落ち溺れ死んだ。
 藤岡俊樹が子どもの頭を左手で撫でてはいけないタブーがあったのに、そのタブーを犯していた。妻は翌年日本に帰り自殺した。
 藤岡俊樹はJICAのを辞め、浜林に会い、自分の誤りに気づいたのだ。
 藤岡俊樹は、ODAの結果計画に協力する気になったのは、オブルが娘ベスを売ったのを見て、現地の人達のためになる援助を実現させたい、と思ったからだった。
 
Part12 計画に群がる人々
 二ヶ月後、築地の料亭で、木島幹事長と相川政義、外務省の黒沢援助局長と、JICAの山南調達部長と富士通商の瀬上と清成設計の松井らが会っていた。
 東亜ベアリングの池田社長が現れ、ニューギニアの開発援助計画の中にある農業機械の生産修理工場建設に、参加させてほしい、と言った。
 
Part13 日本人にとってのコメ
 アメリカ バージニア州・アーリントンで、RMA(全米精米農業者協会)本部で、カーチス副会長に理事長が、日本のニューギニア開発計画の進捗状況を質問した。
 彼らは日本に自由化を実現させたい、と考えていた。
 コメの自由化を許させれば、あとはズルズルいくのが日本の国民性だ、と彼らは読んでおり、アメリカの世界戦略なのだ。
 
Part14 相川議員の資金源
 東亜ベアリング秋田工場に、相川政義のライバルの河井博が来ていた。相川政義は工場長に苦情を言うが、工場長は止められない、と答える。
 木島幹事長のもとに、相川政義が現れた。選挙資金とパーティー券を渡す木島幹事長だった。
 
Part15 動きだした"計画"
 プロジェクトが始まっていた。藤岡俊樹と阿部秀行は、パートナーだった。
 プールに行くと、ゴルゴ13がいた。
 
Part16 依頼の条件
 アメリカ ワシントン・ポトマック河畔でゴルゴ13は、RMA理事長から依頼を請けた。
 理事長は日本がコメの自由化をしないくせにアジア各国でコメ作り援助しているため、かつての輸入大国が自給から輸出に転じている状況を腹立たしく思っていた。
 標的は、パプア・ニューギニアの開発大臣オットー・ベルガーだ。
 条件はパプア・ニューギニアで二度と再び開発話が起こらないようにすることだった。
 
Part17 陣笠代議士の悲哀
 相川政義は地元を歩き回ってパーティー券を売っていたが、まだ36枚だった。
 
Part18 支配される"者"
 浜林のやり方だと何百年もかかることが日本のおかげで、すぐに豊かになれる、と藤岡俊樹が話す。
 浜林は、好きなようにやってみろ、と言った。
 ベルガー開発相は、世界には支配する者と支配される者がいる、と阿部秀行に話す。
 それを聞いた藤岡俊樹は怒りに震え自分がバカだったと泣く。
 
Part19 ニオコマドの呪い
 ニオコマドの面がジャングルの木の陰にあるのを見たベルガー開発相は、その後をつける。
 ベルガー開発相は、ニオコマドの面を追いかけるうちに罠にはまって動けなくなった。
 ゴルゴ13が周囲の木を狙撃して倒した。倒木の下敷きになってベルガー開発相は死んだ。
 それを発見した阿部秀行を藤岡俊樹が殴りつけた。
 
Part20 狂った"目算"
 秋田県秋田市で、日本民主自由党のパーティーが開かれており、鬼島幹事長と相川政義も出席していた。
 そこへパプア・ニューギニアのベルガー開発相が死んだこと、パプア・ニューギニア政府がラム総合開発計画の中止を申し出たことが伝えられた。
 浜林と藤岡俊樹は相変わらず、現地の人の技術で井戸を掘っていた。浜林はちょっと横風が吹いただけさ、と慰める。
 阿部秀行は飛行機の上で、ニューギニアの県はちょっと風向きが変わっただけ、と言い、マカオ中華興銀ビルへの情報システム納入の件に関心が移っていた。
 相川政義は選挙戦のために地元を回っていた。
  

【感想】
 日米の貿易摩擦や日本のコメ問題、ODAの問題などを、ゴルゴ13のストーリーに巧みに取り入れた見事な作品だ。

 

第303話 円い村(1991/12作品)

脚本協力:ながいみちのり
ページ数:49ページ
依頼者:フィリップ・ベローがナチスに同胞をカネで売っていたと思っているユダヤ人
ターゲット:ナチス抵抗運動のヒーローであるフィリップ・ベロー
依頼金額:不明
殺害場所:イスラエルのモシャブ・ナハラル
殺害人数:1人
殺害相手:ナチス抵抗運動のヒーローであるフィリップ・ベロー
H:0人

Part1 村に1つのホテル
 1991年11月20日10時50分 イスラエルのモシャブ・ナハラルで、ゴルゴ13がホテルの自室に入る。
 そして銃を組み立てる。
 
Part2 英雄暗殺計画
 情報局のマーシュが署長を連れてこい、と命じた。フィリップ・ベロー氏を狙った暗殺者ゴルゴ13がいる、という情報をつかんだからだ。
 マーシュは15時30分にTV中継を通してフィリップ・ベロー狙撃をする、という情報もつかんでいた。
 フィリップ・ベローを"ユダヤの裏切り者"と思っている連中の依頼と思われた。フィリップ・ベローには同胞をナチに売って得たカネでアメリカに脱出したという疑惑もあった。
 マーシュが指揮官となってフィリップ・ベロー狙撃を阻止しようとしていた。
 
Part3 テロリスト発見!
 署長はこの村1つのホテルを訪れゴルゴ13がいないか、確認した。ゴルゴ13が801号室にいることがわかった。
 ゴルゴ13からカネをもらっていたホテルのボーイがゴルゴ13に電話で連絡した。
 マーシュがホテルにやってきた。
 801号室に突入したが、ゴルゴ13はいなかった。しかし三脚に乗せた望遠鏡と銃を残していた。
 マーシュはこれは囮だと判断した。
 
Part4 第2の狙撃地点(シュートポイント)
 連絡が入り、新たなゴルゴ13の潜伏先に、マーシュが向かった。
 今回は残留品が何もなかった。
 そこから町の中心地点の間にウォッカの瓶があった。マーシュはゴルゴ13がそれを撃って燃やした直後に二発目の弾丸が通過すると、射程距離以上に突き進むと推理した。
 
Part5 三方の"目"をふさげ
 13時03分、ビデオ・エンジニアが建物と建物の間のわずかな空間で逆光になっている所にゴルゴ13の影を発見した。
 15時04分、両サイドと後方をふさぎ演台を隠し正面を重点的に守る態勢を敷いたマーシュだった。
 
Part6 真の"射程距離"
 15時15分、ゴルゴ13は草原の木の陰から広場をスコープで見る。
 そして依頼時のことを回想する。
 依頼は、ヒトラーがベルリンの地下壕に入った日の11月20日、午後3時30分に狙撃することだった。
 15時26分、ナチス抵抗運動のヒーローのフィリップ・ベローが紹介された。
 ゴルゴ13は、ホテルの非常階段をスコープで覗く。そして非常階段に固定した管を狙撃した。
 管から弾丸が飛び出し、フィリップ・ベローを貫いた。
 マーシュは村に仕掛けられた射撃地点(シュートポイント)がさも射程距離から狙うと見せかけるためのゴルゴ13の罠だったこと、ゴルゴ13が中継射撃をしたことを知った。

【感想】
 ゴルゴ13のスーパー・ショットの一つだ。中継射撃など現実にはほぼムリだろう。
 それにしてもゴルゴ13への依頼が細かくマーシュに伝わっていたのはなぜだろう。
 ゴルゴ13がわざと情報漏洩させたのだろうか。それとも情報漏洩者を有罪判定して殺したのだろうか。
 

 

第306話 安全地帯の亡霊(1992/03作品)

脚本協力:ながいみちのり
ページ数:44ページ
依頼者:元東ドイツスパイで現在はノルトライン・ヴェストファーレンの連邦議員エリッヒ・ラインハルトのゲオルグ・ギュンター
ターゲット:本物のラインハルトの治療済の歯
依頼金額:不明
殺害場所:ドイツ メガラロイガ村
殺害人数:0人
狙撃対象:本物のラインハルトの治療済の歯
H:0人


Part1 議員ラインハルト
 1961年ドイツで歯の治療をする男。窓の外には壁があった。
 1991年ドイツ・ボン郊外のラインハルト邸で、テレビ・ニュースを見る老夫婦。
 ベルリン以外で東西に分割されていたメガラロイガ村にある壁の帰趨が住民投票で決まる、というニュースが流れていた。
 ラインハルト夫妻の一人娘にもうすぐ孫ができるのだ。
 ラインハルトはニュースを見ながら「亡霊が甦る・・・」と心の中で思う。
 
Part2 "静かなる時限爆弾"
 エリッヒ・ラインハルトに、医師が家族に話したのか、ときいた。ラインハルトは自分で伝えると答えた。
 アスベスト(石渡)によるものだった。
 ラインハルトは帰り際に"歯"の話をオフィスに電話で知らせてくれ、と頼んだ。
 オフィスでラインハルトは、自分にまだ死ぬわけにはいかない、と心の中で言う。
 1960年旧東ドイツ・ドレスデンで働くゲオルグ・ギュンターにSED(社会主義統一党)のキンスキーと国家保安省のコッホがやって来て、48時間以内にベルリンに行き、エリッヒ・ラインハルトになれ、と言われた。
 エリッヒ・ラインハルトはチェコの班体制雑誌を発行する組織で連絡、防諜に関わっていた。
 ラインハルトが年に一回故郷の村で過ごし歯の治療に通院しているが、その時に入れ替わったのだ。
 ラインハルトは医師から歯による身元不明死体の確認について、話を聞いた。
 
Part3 メガラロイガ村
 ラインハルトはメガラロイガ村の村長を訪れ、壁を残すかどうかの投票が二週間後と聞いた。
 
Part4 "濡れ仕事"の革手袋
 1990年初夏、ラインハルトは売店で働くコッホを見つけ殺した。
 ゲオルグ・ギュンターだった時の妻フリーデルが病死だったことを聞いた。
 
Part5 村の歯科医院
 村の歯科医院を訪ねたラインハルトに息子のペーターが会った。ペーターは亡くなった父親が、当時珍しかったポーセレンメタルボンディングの技術を使ったこと、また患者の歯にかぶせたメタルにサインを彫っていたことを話した。
 ラインハルトはゴルゴ13に狙撃を依頼した。
 
Part6 崩された"壁"
 ゲオルグ・ギュンターはラインハルトを殺して"この世で一番安全な場所"に死体を埋めた。
 ドイツが統一され、"この世で一番安全な場所"は最も危険な場所になった。
 ラインハルトは、本物のラインハルトの死体が出てくることで自分の過去が曝かれることを恐れていた。
 壁が破壊され、白骨死体が出た。
 ラインハルトはゴルゴ13に"歯"の狙撃を依頼した。
 白骨死体を見たラインハルトは、歯の治療痕をゴルゴ13に指のサインで伝えた。
 ゴルゴ13は歯を見事に撃ち抜いた。

【感想】
 個人的な話になるが、私のかかりつけの歯科医の治療時に、白骨死体の歯の治療痕の鑑定に行った時のことを話してくれた。
 その歯科医は、警察に協力を依頼されたが、午後の診療に間に合わない、と最初は断ったが、警察は診療時間に間に合うように、サイレンを鳴らしたパトカーで連れて行き歯科医院まで送ってくれたそうだ。
 その歯科医は、「自分が治療した人は全員わかる」と豪語していた。その白骨死体も誰だかわかったそうだ。
 今は代替わりしているが、息子は「自分が治療した人は全員わかる」と豪語するだろうか?
 
 

 

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