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白土三平・岡本鉄二『カムイ伝 第二部 14』(小学館)(1995/12/01)



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登場人物たち

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●佐倉十一万石〔三〕

  季節は夏が終わり秋口にさしかかってきた。

  椿湖の測量を終えた一行は、外川(銚子)に戻ってきた。船上で熊沢蕃山と笹一角(草加竜之進)と庄左ヱ門(正助)が酒を呑みながら会話している。庄左ヱ門は、熊沢蕃山と貝原益軒を尊敬する学者だと話す。彼は舌を抜かれているので、口を動かすのを熊沢蕃山が読唇術で聞いているのだ。熊沢蕃山は夢で見た石竜の「人間がおごりゆえに滅びる。未来が見えない」という言葉が引っかかっていた。

  熊沢蕃山は財政窮乏のため新田開発をしようとすると治水灌漑をおろそかにしてかえって古田が荒廃することを恐れていた。「策はあるのか?」ときく庄左ヱ門に対して「参勤交代の中止だ!」と答えた。

  熊沢蕃山は岡山藩主池田光政にも参勤交代の中止の話を既にしていた。池田光政は十年ほど前に酒井雅楽頭忠清の専横に対して8箇条の建白書を出していた。そのうちの一つで参勤交代については直接的表現を避けて藩財政が逼迫するとかえって一揆のもとになる、と指摘している。

  参勤交代の交通費、江戸に上屋敷、中屋敷、下屋敷を置くことなどがなくなると藩財政が豊かになり百姓らもゆとりのある生活が送れるようになる、というのが熊沢蕃山の考えだった。

  三人はとある河岸の干鰯問屋が経営する船宿に一泊することになった。そこに冬木道無とアヤメが現れた。冬木道無の話では佐倉の城下町に猪狩芸州がいて何か探っているようだった。

  冬木道無とアヤメはすぐに去って行った。

 

 秋風(一)

  翌朝、三人は印旛沼干拓のための調査に入る。その小舟の中で、熊沢蕃山は「おぬしら(庄左ヱ門と笹一角)の目的は何か?」ときいた。庄左ヱ門(正助)が士農工商の身分制度を壊すことだ、と答えた。

  一行は堀田上野介正信の実戦さながらの軍事訓練と出くわした。

  激しい訓練に、子守の女が巻きこまれそうになったのを、笹一角(草加竜之進)が助けに入る。牢人に訓練を邪魔された佐倉藩番衆荒木田朱門が笹一角と戦おうとする。その間に庄左ヱ門は草鬼や松造や小助らを使って狼煙を上げさせ、軍事訓練で子守がやられた、と触れ回らせ、農民達を扇動した。

  笹一角は荒木田朱門に果たし合いを所望した。多数の農民達が囲んだことと、かつて江戸で御前試合で笹一角に敗れた弥山蔵人(みせんくらんど)が止めたこともあり、荒木田朱門は軍事訓練を中止し引き揚げた。10騎ほどには笹一角を追うように命令した。その10騎は冬木道無の一派によって馬と武器を奪われた。一行は川を馬で渡っていった。

 

 秋風(二)

  佐倉城では、今回の一件について議論していた。

  一方、酒井雅楽頭忠清の目付配下の猪狩芸州を尾行するのはアヤメだった。そこに荒木田朱門が現れた。

  これで荒木田朱門が酒井雅楽頭忠清の手の者であることが笹一角にもわかった。笹一角のもとに弥山蔵人がやってきて、佐倉城での会議の結果を知らせた。藩主不在なので城代の決定では、試合の件は目をつぶってほしい、その代わり一行の安全を保証する、とのことだった。笹一角は城代に条件をつけた。荒木田朱門の謝罪だった。翌日、佐倉城に行き、荒木田朱門と試合をする、ということになった。

  翌日、城に上がった笹一角に対し、荒木田朱門は毒を塗った小刀を投げつけた。

  そして試合になった。

  そこに堀田上野介正信が単騎、帰ってきた。

  果たし合いに至った経緯を聞いた堀田上野介正信は、自身が直接検分することで試合再開となった。

  果たし合いは笹一角の勝利となった。だが、彼は荒木田朱門を殺さなかった。

  万治三年(1660)、9月28日、下総佐倉の城主堀田上野介正信は上野東叡山に赴き家光の廟を拝し、10月8日、幕閣に意見書を提出し、単身、佐倉に戻った。一城の主が、無断で国元に帰るのはご法度破りなのだ。

  家臣達に、民百姓らが疲弊しているのは幕閣が利勘のみを大事としていて下々を顧みないからだ、という自身の考えを話す堀田上野介正信だった。城に立て籠もり幕府軍と戦うつもりだった。

  家臣一同は主君堀田上野介正信に同意し、すぐに戦支度を始めた。

  熊沢蕃山は、籠城して幕府軍と戦えば堀田家は滅ぶ、それは誰ぞにはめられたことだ、と言う。

  笹一角は天井に潜む荒木田朱門とおぼしき賊に槍を投げたが、急所をはずれた。

  笹一角は馬に乗り、荒木田朱門を追う。荒木田朱門の隠れ家を冬木道無らに聞いていた笹一角は貝塚ヶ腹の網小屋に急ぎ、そこにいた猪狩芸州に逃げろ、と言う。「このために後に重大な災いをもたらすことになる」と言う不吉なナレーションが入る。

  荒木田朱門が網小屋にやってきた。弥山蔵人達5人もやってきた。笹一角が声をかけると、観念した荒木田朱門は自決した。襟元には密書があった。それを持って、佐倉藩士達は城に戻った。

  密書には堀田上野介正信が逆上して籠城を決意したこと、藩士全員が武装して戦闘態勢にあることを中山主膳に伝えようとしていた。堀田上野介正信は中山主膳が松平伊豆守信綱の家来と誤解したが、笹一角が中山主膳は酒井雅楽頭忠清の直属の目付であることを伝えた。

  そして、酒井雅楽頭忠清に何らかの野望があり、その野望を邪魔する存在である堀田一族を陥れようとする陰謀を企んでいる、という意見を述べた。

  しかし、興奮した佐倉藩士達は、籠城して死ぬことを決意していた。

  そこに堀田備中守正俊からの使者として宮城音弥がやってきて、「不矜」の二文字を書いた正俊の書を持ち、堀田上野介正信お気に入りの竜神の間で城代と三人で酒を酌み交わしながら密談する。「近づけば近づくほど見えなくなるものはなんだ?」という謎かけの答が見つかったか、と問う宮城音弥に、正信は問いそのものを忘れていたが、城代が「それは節穴だ」と即答した。近くを見てものの本質を見極められないのは目ありて節穴というが、それが自身へのあてつけか、と問う正信に対し答えずに本題に入る宮城音弥だった。

  堀田上野介正信が君側の奸は松平伊豆守信綱と思っているのを隠れ蓑にして堀田一族を狙うと見せて真の狙いは将軍家綱失脚だ、というのだ。その証拠が帝鑑の間の事件で、そのせいで、家綱は気鬱の病に陥ってしまった。気づかなかったことを泣いて悔やむ堀田上野介正信だったが、将軍家綱が今は回復していることを話す宮城音弥だった。そして、なぜに忠清がそこまでの陰謀を企むに至ったか、そこに謎がある、と続ける。

  この後、徳川一族の疑心暗鬼による将棋倒し理論による陰謀を話そうとした宮城音弥だった。しかし、「恭順しろ、と言うのか?」と質問する堀田上野介正信だった。もし堀田上野介正信が否と言ったら、やむなく弑逆する、と宮城音弥が答えたので堀田上野介正信は槍をとった。

  その頃、冬木道無とアヤメが率いる怪盗不知火一味が佐倉城内の金蔵を襲っていた。

  堀田上野介正信の槍の穂先を斬り落とし、長刀を奪った宮城音弥は、将軍家綱からの密書を正信に読ませた。「上野介ゆるせ 予が迂闊であった。あの忠清めに謀られしは予の未熟の致す所、今こそ目を開くことができた。そのためにそちを犠牲にしてしまった。予の命のある限り忘れ得ぬことと成るべし嗚呼 万治三年十月 家綱 堀田上野介へ 花押」と書いてあった。

  その上で、覆水盆に返らずだが、先君よりの中心堀田の血縁を断ちたくない、くれぐれも自重するように、と口頭で伝えた。

  それを聞いた堀田上野介正信は、恭順することを決め、家臣達にも伝えた。

  堀田上野介正信から妖刀村正をもらい、宮城音弥はただ一騎、江戸に向かった。そこを少なくとも11人の侍と6挺の火縄銃を持った男に襲われた。そこに木村勘九郎と柳生一族が現れ、音弥を救った。全員を始末したと思った木村勘九郎だったが、猪狩芸州は岩の下に隠れて生きのびていた。

  

[感想]

 堀田上野介正信を狙った酒井雅楽頭忠清の陰謀だったが、いったん、正信が自重した。しかしお取り潰しは免れないだろう。

 宮城音弥は大活躍だった。単なる柔な稚児かと思ったが、なかなかしたたかで強い男になった。

 それにしても不知火党と称する盗賊一味は何を狙っているのだろう?

 

●不知火〔一〕

  万治三年(1660)9月28日 下総・佐倉城主堀田上野介正信(十一万石)が上野・東叡山に赴き三代将軍家光の廟を拝す

  同10月8日 上書を幕府に提出し暇も乞わずただ一騎佐倉に帰城する

  同11月3日 改易ー領地没収。その身は脇坂安政(正信の実弟 信濃飯田城主)お預け

       嫡子正休(まさやす)が廩米一万石を与えられ、後に一万石に改められ近江宮川に転封となる。

  

  江戸城では幕閣の会議が行われていた。酒井雅楽頭忠清は佐倉惣五郎一揆が起こり佐倉藩を満足に治めることができない堀田上野介正信が幕政に口を挟むのは笑止千万、籠城しようとしていたこともあり堀田一族は反逆の徒と断定していた。正信の弟堀田正俊の義理の父にあたる稲葉正則も同情の余地が無いので断固とした処分をするべきだと言う。

  老中阿部豊後守忠秋は、籠城の証拠を見せろ、と酒井忠清に迫る。元老保科正之は、所領十一万石を返上してまでの諫言はそれほど憎むべき事ではない、と言う。

  そこに松平伊豆守信綱が現れた!!そして堀田上野介正信の狂気によるものだとして堀田家を根絶やしにすることは免れた。

  利根川安食河岸に一艘の高瀬舟が停泊していた。不知火党の面々だった。何かの目的があり結束が固いようだ。獲物は全て等分に山分けされ、換金の両替証書と割札は紀ノ国屋の支店で通用する。冬木道無とアヤメはそこで降り、十蔵と呼ばれた男が後の差配を任された。

 

 椿屋敷(一)

  堀田上野介正信の側室の別邸があったところは、側室が椿を好んだため、椿屋敷と呼ばれていた。そこで猪狩芸州と佐倉城に送り込まれた女密偵タカが抱き合っていた。猪狩芸州は手柄を立てれば士分に取り立てられる、という言葉によって、タカは親のためにこの世界に入ったことを語る。彼らはこのまま中山主膳の元に戻っても手ぶらなのでどんな処罰を下されるかわからないので不安だった。その不安を紛らすために抱き合うのだった。

  タカが佐倉城に盗賊が入り二万両が盗まれ、それが不知火一味の仕業とにらんだ猪狩芸州がそれを手土産にする策を思いついた。

  干鰯問屋紀ノ国屋の納屋の一つに庄左ヱ門(正助)、笹一角(草加竜之進)、熊沢蕃山らの宿舎になっていた。小助がムジナ汁を作る。熊沢蕃山と庄左ヱ門(正助)が風呂に一緒に入っていた。お互いの身体の傷を背中を流す。笹一角と松造は外で水浴びしながら話し合う。松造は小助のことをよろしく頼むとお願いし笹一角はそれを受ける。

  庄左ヱ門は熊沢蕃山に岡山藩での賤民の処遇について質問する。雪駄づくりがきっかけで、農業にも賤民が進出し、藩財政の窮乏もあって、差別の枠組みが崩れていったのだ。

  そこへアヤメから笹一角宛てに「皿池河岸の屋形船で待っている」という主旨の手紙が届けられた。笹一角はそれが猪狩芸州とタカの罠だと気づきながら皿池河岸に向かう。草鬼に何やら策を伝えた。皿池河岸の屋形船に着くとやはり猪狩芸州と女の罠だった。二人を縛り付けて舟を流した笹一角と草鬼だったが、猪狩芸州の罠が杜撰すぎることに不審を持った笹一角だった。

 

 罠(一)

   熊沢蕃山と庄左ヱ門の所にアヤメがやってきて手紙の話をすると、アヤメは外に駆け出した。10人ほどの刺客が襲ってきて、アヤメが網で捕らえられた。刺客達にタカが小判を渡すと、それは袋に入った蝮だった。タカと眼帯をつけた男が拳銃や弓矢で刺客達を全滅させて、アヤメを小舟から大きな舟に連れて行った。

 

[感想]

 堀田上野介正信が酒井雅楽頭忠清の陰謀によってとうとう改易になってしまった。堀田上野介正信の件は史実で、そこに絡めて物語が進んでいる。史実に絡めながら『カムイ伝』のような歴史大河劇画のストーリーを作っていくのはなかなか難しいと思うが、さすがは白土三平だ。

 アヤメが捕まってしまったが、この後どうなっていくのかとても楽しみだ。