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これまでに何度も読んでいる。
御岳荘という旅館を改築した所に住む内科医栗原一止とその妻榛名。
一止は24時間365日を標榜する長野県の本庄病院に勤める内科医だ。
妻は登山写真家だ。
御岳荘には、通称男爵と呼ばれる自称画家や通称学士殿と呼ばれる自称大学院生が住んでいる。
本庄病院には、大狸先生や古狐先生や外科医で一止と同期の砂山二郎らが働いている。
看護師では外山さんや東西さんや新人の水無さんが働いている。
第一話 満天の星は、膵臓癌で苦しむ田川さんが登場する。彼は末期癌で非常に痛がって苦しんでいる。一止は痛み止めのモルヒネを注射するが効果が出ない。新人看護師の水無さんは何とかして、と一止に頼み込むが一止にできることは限られている。
そして田川さんは亡くなる。田川さんの親戚の少年や水無さんが一止を責めているような目つきをしているようで、自己嫌悪に陥る一止。
察した榛名が一止を真夜中の深志神社に誘う。
満天の星を見た一止の心が晴れるのだった。
第二話 門出の櫻は、学士殿の話だ。彼のもとに美しい女性が訪ねてきたのを男爵が見つける。
その女性が帰った後、学士殿は多量の薬を飲んで自殺を図った!!
男爵が発見し学士殿は一命をとり留めた。
学士殿は、実は大学院生ではなかったのだ。大学受験に失敗し8年間も大学院生だと、仕送りをする母や男爵や一止らをに嘘をついていたのだ。
学士殿を迎えに来た姉に母が亡くなったことを聞き、学士殿は薬を飲んだのだった!
男爵が見た女性は学士殿の姉だったのだ。
退院した学士殿はしばらくして、御岳荘を離れ故郷の出雲に戻ることにした。
最後の夜、呑み明かす一止と学士殿。自殺未遂を起こした学士殿に怒った男爵はいない。
翌朝、御岳荘は桜が満開だった。御岳荘の中に男爵と榛名が学士殿の門出を祝うために、桜の絵を描いたのだ。
雪と桜(男爵の絵)が舞う中、学士殿は故郷に帰っていくのだった。
第三話 月下の雪は、癒やしの安曇さんと言われる胆のう癌の患者の話だ。彼女は人間ドックで癌が見つかり、一止が大学病院を紹介したが、そこでも手術ができないと冷たく言われ、本庄病院に戻ってきたのだ。
「ここ(本庄病院)にいていいですか?」ときく安曇さん。
うまい答を見つけられない一止は「次の外来はいつにします?」と答えてしまう。
安曇さんは「一止の名前が、一に止を上下に書くと、正という字になることを発見した」と一止に嬉しそうに話す。
入院してから病状が悪化して寝たきりになった彼女は、山を見るのが大好きだった。
彼女の山を見たい、という希望を東西さんや水無さんが、一止に伝え、屋上から見せることを認めさせる。
文明堂のカステラを食べたいという希望を聞いた一止は榛名に買いに行かせる。
医学的には本来は外の空気を吸わせたり、固形物を食べさせるのはよくないのだ。
だが、もうすぐ死ぬ人を医学的に正しいからといって部屋に閉じ込めたり何も食べさせないことがいいのか、と一止は自問自答する。
その後、安曇さんの病状が悪化する。
一止は、延命措置をするかどうか迷った。あばら骨が折れるほどの心臓マッサージをしたり、大量の輸血をして、一週間程度生かすことが安曇さんのためなのだろうか、と一止は思って、延命措置を止めて看取ることにした。
彼女の最期を看取った一止は、安曇さんからのお礼の手紙を読みながら泣いていた。
砂川二郎や榛名との会話でまた元気を取り戻す一止だった。
この本のタイトル『神様のカルテ』がどういう意図でつけられたのか、ずっと考えていた。
医師はどんなにがんばっても田川さんや安曇さんのような救えない患者を救うことはできない。
人には必ず老いと死が訪れる。
それは神様が人を老いて死ぬように設計したからだ。
医師は神のように万能ではない。
また病気や怪我を治すだけが名医ではない。
一止が自殺を図った学士殿に生きる力をつけるのも医師の仕事の一つだ。
一止が田川さんや安曇さんにしたように、老いて死んで往く人を納得させて逝かせることができる医師も名医ではないか。
先に逝く人。見送る人。見送る人もやがて逝く人になる。
それは神様が決めたもので、人はその上で、生きて老いて死んで往くものだ。
そんな人生の本質について、淡々と、かつユーモアあふれる筆致で描いた面白い小説だ。
この本は私はまた何度も読み返すことになるだろう。