つのだじろうの『恐怖新聞』で恐山の怪奇現象は印象的に描かれていた。
今回、初めて映像で恐山を見た。
恐山といえばイタコが有名だが、有名になったのは昭和30年代、賽の河原で石を積むのも昭和になってからの習慣とのことで、意外だった。
イタコの方がむしろ古かったそうだ。
死者を悼む気持ちが昔からあり、恐山の風景がそういう風景に合った、ということが科学が発達した20世紀の人々の心にも存在していた、ということだ。
寺の境内に混浴露天風呂があったが、小屋を建てた、というのも興味深かった。
閻魔大王みたいな溶岩からできた岩。
レモン汁並みの酸性のため、魚が住めない湖。
セキエイが多数含まれるため白い湖岸。
あの世のような光景が、死に対する人々の心を呼び覚まし、恐山への信仰になったのだということがよくわかった。