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映画館に『ゴジラ-1.0』を見に行った

 

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映画館に『ゴジラ-1.0』を見に行った。

 

IMAXのアップグレードシートで見た。

寝っ転がって見えるのがいい。

視界全体に画像が拡がって凄い。若干、上の方が歪むが、気にならない程度だ。

 

音も迫力があって、家では絶対に見たり聴くことができない。映画館で見なければダメだ。絶対に!

 

どの登場人物もうまく描けているし、上手に演じている。

 

特に浜辺美波は、彼女の祖母の年代より年配の人達が若かった頃を演じているはずだが、上手いと思った。

 

戦争に行くには若すぎた水島演じる山田裕貴は、『どうする家康』の本多忠勝とダブってしまった。

 

整備士の橘演じる青木崇高は、『鎌倉殿の13人』の木曽義仲とダブってしまった。

 

昔、プラモデルで作った、重巡高雄や駆逐艦雪風、響、夕風、欅に、零戦震電が、登場していたのが嬉しかった。

 

ゴジラの造形は背びれが巨大で、泳いでいる姿はなんだだか、巨大なジョーズという感じだった。

 

上陸したゴジラの足が巨大で、昔あった怪獣のプラモデルのようだった。怪獣のプラモデルはバランスとるために、上半身より大きい足にどうしてもなってしまうのだ。だが、下から見上げる小さな人間から見ると足が巨大で頭が小さく見えるはずだからあんな感覚だと思う。

 

この映画では、戦争や特攻や、戦後の何もない状況で生きて子育てする人間を中心に描いている。

ゴジラが登場するが、ゴジラは脇役だ。脇役というよりも、一種の災害のようだ。

戦後復興期の大変さは、私も親からしか聞いていないが、その時代に一生懸命生きていた私達の先輩方の生活や思いの一端を見ることができたと思う。

 

怪獣映画というより、日本の戦後復興期を生きた人間ドラマとして見ると面白い作品だ。

 

そして、個人の努力を超えたおおきな挫折を味わった人間が、次のチャンスを掴み取り、過去の挫折を克服する物語だ。

 

そう捉えるとアメリカでのヒットにも納得できる。

 

 

◆ストーリー

戦時中、特攻機の避難所になっていた大戸島に、敷島(神木隆之介)が着陸する。

彼は機体の調子が悪いと嘘をついて大戸島に逃げたのだ。

整備班の橘(青木崇高)は気づいていたが、見逃してくれる。

ある夜、島民が呉爾羅(ごじら)と呼ぶ怪物が現れ、基地を襲う。橘が敷島に「零戦に乗って20mmで撃て!」と言うが、敷島は撃てなかった。そのため、基地の兵隊のほとんどが死んだ。

 

戦後復員する敷島に橘は大戸島の隊員達が持っていた家族写真を渡す。

 

敷島は東京の実家に帰るが家は空襲で焼けてしまっていた。隣の太田澄子(安藤サクラ)が、自身の子ども三人と、敷島の両親が、死んだことを教えてくれた。

 

ある日、闇市で、敷島は人々に追われる女から荷物を渡される。荷物と思ったのは赤ん坊だった。

その女は赤ん坊と一緒に敷島の家に居候を始める。

女の名は典子(浜辺美波)だった。赤ん坊の母親ではないらしい。

 

敷島は金のために機雷除去の仕事を始めた。磁気機雷が作動しない木造のボロ船でだ。

 

それに乗る船長が秋津淸治(佐々木蔵之介)、その部下が水島四郎(山田裕貴)、ガクシャと呼ばれる野田健治 (吉岡秀隆)だった。

 

機雷除去をしている最中、彼らは原爆実験で巨大化し強大化したゴジラを目撃した。

 

日本は、重巡高雄を回航し、砲撃させるが、高雄は沈没してしまう。

 

東京に向かったゴジラは上陸し、銀座の街を破壊し去って行った。その時、典子もゴジラの口からの熱線を浴びて吹き飛ばされてしまった。

 

次に来たときには、相模湾に追い込み、深海に急速に沈めた後急激に浮かび上がらせて、ゴジラを退治する作戦を野田が立てた。

 

敷島は橘に整備させ、爆弾を積み込んだ震電に乗り、ゴジラ退治に乗り出す。

 

ゴジラが再び現れたので、敷島がゴジラ相模湾に誘導する。

 

野田の作戦が見事に成功したがゴジラは死んではいなかった。ゴジラの口に突入し、爆弾を爆破させた。

 

身体の外部を砲撃してもゴジラはすぐに再生してしまうが、身体の内部は弱点だからだ。

 

敷島は十死零生の特攻をしたのではなく、射出座席から脱出していた。

 

ゴジラを退治した敷島達だが、典子を失った敷島の顔色はさえない。そこに澄子が赤ん坊と電報を持って走ってきた。

 

典子は生きていたのだった。

 

こうして敷島にとっての戦争はようやく終わったのだった。

 

だが、海中に沈んだゴジラの死体では・・・