■黒野耐
■『「たられば」の日本戦争史 もし真珠湾攻撃がなかったら (講談社文庫)』
■出版社: 講談社 (2011/07/15)
■ISBN-10: 4062769115
■ISBN-13: 978-4062769112
■発売日: 2011/7/15
歴史に「たら」「れば」は禁物と言われる。それは都合のいい歴史解釈に走るからだ。だが、シミュレーションするのはけっして悪いことでは無いと思う。
本書は、日清・日露戦争から第二次世界大戦までの日本の歴史を振り返りながら、ポイントとなる所で、別な道をたどった場合、日本がどうなったかを、冷静にシミュレーションしている。
本書を読んで明白になったのは、歴史の分岐点になったのが、日露戦争後の満州経営方法であり、第一次世界大戦だったことだ。当時、世界一の大国イギリスと日英同盟を結び、ロシアに勝った日本が、日露戦争後アメリカと共同で満州経営をしていたら、その後の展開は大きく違っていただろう。また、第一次世界大戦では、イギリスからの要請に応えて陸海軍をヨーロッパに送らず、アジアで火事場泥棒のような対華二十一ヵ条要求をつきつけていた。これによって、英米から警戒され、信用を失い、孤立していったのだ。つまり、第一次世界大戦欧州戦線不参加=>英米の不信感増大=>国際社会での孤立=>敵の敵は味方ということで日独伊三国同盟参加=>第二次世界大戦=>敗戦という流れになってしまったのだ。
第一次世界大戦で連合国側で本格的にヨーロッパ戦線に参戦していれば国際社会での日本の発言力は違っており、第二次世界大戦でも連合国側につけたかもしれないのだ。
現代の中華人民共和国政府は満州=中国東北部という言い方をするが、当時は、万里の長城以北は漢民族の地では無い=満州族の地という認識だった。アメリカが日本に対して不信感を持たなければ、満州国建国も、国際的に認められた可能性は高いのだ。
満州事変で塘沽停戦協定を破って以後は、「たられば」がほぼありえないことがよくわかる。万里の長城より南は漢民族の地だから、漢民族の抗戦意欲は満州とは雲泥の差になるのだ。
非現実的な歴史の「たられば」は禁物だが、本書のような、現実的にとり得た政策決定について、冷静にシミュレーションすることは、将来を考えるためにも大事なことだと思う。