大河ドラマ『どうする家康』第28回「本能寺の変」第29回「伊賀を越えろ!」を見た。
父織田信秀により、「誰も信じるな!」「信じるなら、こいつになら殺されてもいいと思えるヤツを信じろ」と言われて育つ織田信長。
築山殿と信康を殺された家康は信長を恨んでいる。前回、家臣達に信長を討つと宣言している。
堺で再会したお市の方は、「(夫と息子を殺した)信長を恨んでいる」と言う。
家康は、家臣達に、「信長を討つ決断ができなかった」と言う。家臣達が口々に「いずれ時が来る」と言って家康を励ます。
信長は、自分を殺しに来るはずの家康の名前を何度も呼びながら家康を探す。家康は、信長を何度も呼ぶ。信長の胴に刀を突き刺した男は家康だった!と思ったら無名の男だった。
障子を開けた信長の眼前にいたのは、家康ではなく、明智光秀だった。
がっかりした信長は「このキンカン頭~~~ッ!」と叫ぶ。激高した光秀は部下に信長の首を取る命令を出す。信長は最期の戦いに挑む。
そして信長は死ぬ。
その知らせは、茶屋四郎次郎によって堺の家康の元に届く。家康は即刻、伊賀を通って三河に帰ることにする。伊賀は服部半蔵の故郷だから安全だと言われたからだ。途中、酒井忠次と石川数正は別ルートを通ることにして分かれる。
伊賀に入ると家康達は、百地によって捕らえられる。服部半蔵の父は伊賀に住んでいたことはあったが、半蔵自身は伊賀に住んだこともなかった。
首を斬られる直前で、百地の軍師が「信長の首は出ていない。生きているという噂もある。仮に生きていると、家康の首を持っていけばどうなるか・・・」と言い、家康の命は救われる。
その軍師は、三河一向一揆で家康に立ち向かった本多正信だった。
約230kmの行程を3日で三河に戻った家康達。酒井忠次や石川数正らとも再会し、彼らが安全な旅だったことを知る。
秀吉は毛利と和睦を結び、世に言う中国大返しを実行し、山崎の戦いで光秀を破る。落ち武者狩りにあった光秀は、「俺は明智ではない」と言いながら死んでいく。
その首を見た秀吉は「一番いい顔をしている。」とニヤリと笑いながらつぶやく。
本能寺の変をどう描くかと思ったが、信長と家康の心象風景を描くことに終始していた。
信長は孤高の存在になってしまい誰も信じることができない自分自身に苦しむ。
誰も信じられないが、家康だけは信じられる。父の言葉「信じるなら、こいつになら殺されてもいいと思えるヤツを信じろ」を思い出し、家康が自分を討ちに来ることを期待する。家康は信長を討てるか、自問自答し苦しむ。
これは天下統一を目前にした信長の心象風景だと思う。
家康が「信長を討つ」と心の中で思っても、本人や家臣に話すはずがない。もし信長の前で話せば即首をハネられるだろう。家臣の前で話せばどこかから漏れてしまうだろう。これも家康の心象風景だと思う。夢や回想場面が多いし、タイトルがそうだからだ。
この2回の信長と家康は、どれも二人の心象風景を描いたものだ、と私は思う。
家康は信長を討ち取った後、朝廷にどう説明するか、主君の仇と考える織田家臣団とどう戦うか、毛利や長宗我部や北条や上杉とどう戦うか、戦わないで和議を結ぶのか、などのメリットやデメリットをいろいろと考えたはずだ。
それなくして、互いに求め合う心象風景を描いているので、二人の関係が別なものに見えてしまう。
歴史上の人物の一生を描くのが、大河ドラマだったが、『どうする家康』は、「人間がリスクある状況でどう決断し、仲間とどう乗り切っていくか」を徳川家康の生涯を題材にして、描こうとしている人間ドラマだと私は思う。
なお、毎回、音楽の前に寺島しのぶのナレーションが入るが、寺島しのぶは春日局で、三代将軍徳川家光に、祖父家康の生涯を語っているのが今回の大河ドラマだと思う。最終回で寺島しのぶの正体が判明するのが楽しみだ。