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最終戦争論・戦争史大観 石原莞爾

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■最終戦争論・戦争史大観

石原莞爾

 

中公文庫、中央公論社

   1993(平成5)年7月10日初版

   1995(平成7)年6月10日5版

あおぞら文庫 2001年8月31日修正版

 

 

 満州事変から太平洋戦争に至る日本の歴史を考えると、この石原莞爾の思想に行き着くので、この本を読んでみた。

 読んでみて、石原莞爾は軍人というより、新興宗教の教祖だと思った。論の進め方が独善的なのだ。論理的でないのだ。肝腎な所で、思考停止を起こすのだ。

 例えば軍事史を決戦戦争と持久戦争に分類し交互に繰り返されるという歴史観で説明している。そして次の日米戦争が最終戦争になり、日本が勝ち、天皇中心の戦争のない世界がやってくる、と繰り返している。日蓮も予言しているので自分の論は正しい、と主張しているのでは、新興宗教家やオカルト研究家の話の進め方だ。

 なぜ、最終戦争が起こるのか、という質問に対して、「私の確信」とだけ答えている。完全に思考停止している。宗教家ならば、それでもいいだろうが、軍人ならば、物理的・論理的に論じて欲しい。不老不死や高空を無着陸で飛ぶ飛行機など、実用化に何年かかるか考えろ、と言いたくなる。

 当時直近の戦争だったドイツのフランス攻撃成功については、「連合側の物心両面に於ける甚だしい劣勢」に原因があったという。それではそこで論が終わってしまい、戦訓に学ぶことができない。戦争の勝敗の原因を何でも精神論にすりかえてしまうのが当時の軍人の思考回路だった事がよくわかる。旧日本陸軍が世界の陸戦に取り残されてしまい、追いつけなくなったのはこの考え方をしたからだ。

 「東亜連盟」を強く主張しているが、その盟主に天皇がなる理由が、「われわれの堅い信仰であります」となってはもう、議論にならない。大東亜戦争(太平洋戦争を当時の日本はこう呼んだ)初期、アジア諸国は日本軍を白人からの解放軍と歓迎したらしいが、こんな日本の考え方には到底ついてこれずに、やがて反日的行動に出るのも当たり前だと思う。文化や歴史の違う諸外国との関係は、たとえ軍事的な強弱関係であっても、最終的にはやはり、論理的な説明、説得なのだ。だから、どんな時代でも、たとえ強引なものでも戦争の名目を作り、戦争するのだ。

 大東亜戦争では、植民地からの独立・解放のようなもっとアジア諸国の人にもわかりやすい戦争理由とそれに基づいた占領政策を施せば、現地の人たちが味方について日本軍はもっと戦いやすかったはずだ。しかし、石原のような考えに固まった軍人達がアジア諸国を占領し、戦時中という理由の統制経済を敷いたら、現地の人たちが「前の方がよかった。連合軍に協力しよう。」と思うのは自然なことだ。

 現代の目で、本書を読むと、おかしく笑ってしまう所が多い。しかし、これが約60年前の日本のエリート軍人の考えであり、一般国民もそれに対してさほど疑問を持っていなかったのだ。これが当時の常識であり、当たり前の考え方だったのだ。敗戦を通じて、その常識は180度変わってしまったのだ。本書を日本を破滅に導いた軍人達のとんでもない本だ、と一笑に付すこともできる。しかしそれは、石原や当時の日本人が陥った思考停止と同じことになる。本書を読むことで当時の当たり前に触れ、現代に立ち返って、今私たちが信じている常識も本当にそうなのか、違う視点に立ったり論理的に疑って考えるべきだろう。